小玉衆 おはよう。
よっ…と、いつも右手を少し上げて挨拶してくれましたね。体調を崩し入院したと聞き、ちょっと心配しました。
頑丈な身体の「おまえ」のことだから、大丈夫と思っておりましたが、今、こうしてお別れの挨拶をするとは、
本当に残念でさびしいよ……小玉
「おまえ」とはじめてあったのは、昭和60年でしたね。
若葉台三丁目自治会活動で「おまえ」は会計担当、俺は7棟の棟長でした。今でも、鮮明に覚えていますよ。言葉に「なまり」があり、田舎どこよ、秋田だよ、俺は長崎たい、話をしていくうちに、19年、生まれが同い年、仕事も共通の建設関係ということもあり、話をしていて楽しく、共通点も多く、あっ、友達になれそうだと思いましたよ。
それから、18年間親友として付き合いさせてもらいました。ありがとう。
小玉衆。 覚えていますか、「おまえ」の仕事が忙しかった時期、4,5回、手伝いましたね、昭和64年、松戸市の現場ででしたよね。
昭和天皇が亡くなられ、平成の年号を車の中で聞きましたよね。一番印象に残っています。
「おまえ」の仕事に対する一生懸命な姿、自信に満ち溢れた行動でした。ちょっと、「頑固」な面もありましたが。
あっそうそう 腕相撲もやったよね、1回も勝てませんでしたけど、力持ちで、家族思いで すばらしいお父さんだったと思います。
『小玉組長出番ですよ!』ではじまる若葉台最大イベント「若葉台夏まつり」朝早くからやぐらの設営、ご芳志板、水道、他 「おまえ」の指揮のもとやりましたね。設営が終わってからも色々と忙しく花火をゆっくり見るがなかったと思います。
今年は家族と一緒にゆっくり花火を見たそうですね。楽しんでいただきましたか。
家族の方々も喜んでくれたと思います。これも、今までの「おまえ」の尽力があったればこそ 今の夏まつりがあるといっても過言ではないと思っているよ。
来年からの夏まつり「おまえ」と一緒にできないのが非常に残念ですが、小玉組の組員俺を含めて皆で頑張るから心配しないでね。
ご家族のご理解があったからこそ若葉台の行事活動に「君」は欠かせない存在でしたし、皆さんからも親しまれました。
小玉衆、お疲れ様でした、来世から見守ってください。若葉台に小玉弘二郎の灯は消えません。
安らかに………戸田真喜男 |